もめぐ

楽しかったのは覚えてるんだけど、何が楽しかったか覚えてない。

しっかり考えるのが重要な理由

 

わたしは比較的しっかり考えている方だと思う。

大学、学部、ゼミ、新卒入社、その他のいろんな選択を考え抜いてしてきた。

自分がどんな思考をしていて、

なぜその時その選択がベストだったのか、

そのストーリーを話せる。

それは評価されることが多い。

そのストーリーがいかに立派か、ということでなく

ストーリーとして物語れること自体だ。

 

わたしには人生のビジョンがある。

強い原体験によって得られたものだから、

ビジョンはもう不動のものだ。

そのビジョンに沿わない選択は

自分が苦しいだけだ。

 

だから当たり前に考え抜いて選択してきたのだけど

なんでしっかり考えることって大事なんだろうと

よくわかっていなかった。

 

最近少しわかった。

なあなあでした決断は、

人の意見に引っ張られやすいからだ。

なにか意見を言われた時、

自分がなぜそうなのかという理由がないからだ。

そして一番問題なのは、

それが人生の大きな選択であればあるほど、

自分がなぜそうしたのか自分でよく分からないと、

自分自身が迷うからだ。

それはとても落ち込む。

 

 

近所に葬儀場ができるらしい。

それに大反対する市民が1人、2人いるとする。

その2人が、「家の隣に遺体を置かれるなんて嫌でしょう!?」と言ってくる。

別に興味がなかったとしても、

嫌かどうか?と聞かれたら嫌なのかもしれないと思い始める。

そして署名してしまう。

大反対は2人だけ、あとの人はどちらでもいい、別にできても構わないくらいに考えていても

声の大きな人の声が通ってしまう。

 

家の近所に葬儀場を是非立ててほしい!!

という人は少ないだろう。

でも、できても構わない人もいるだろう。

 

どちらでもいいよと深く考えなかったことで

大反対しているかのような波に飲まれることもある。

 

それが自身の人生に影響の大きいことであれば

なおさら大問題。

 

声の大きな少数によって町の変化を妨げられたくないから、

葬儀場建設に賛成するのはそんな理由でもいいのだ。

 

 

立派な理由でなくてもいい。

そうしないと気分悪いから、気分良いから、アガるから、でもいいのだ。

自分で考えて、理由を持って選択すること。

それは人生に肯定感を生むことでもある。

そこの就活生、ぜひよく考えて就活してほしい。

 

人生の目標ってなに?

どんな人が好き?

どんなことをしていたいか、

どんな状態でいたいだろうか?