もめぐ

楽しかったのは覚えてるんだけど、何が楽しかったか覚えてない。

罪の意識

 

聖書のなかの、あるエピソード。

(7割の精度で生きてる私の記憶なので

細かいところは曖昧、ご勘弁)

 

不貞の罪で女が捕まり、

それをみた町の人たちが女を取り囲んで

石を投げつけ罵声を浴びせた。

そこにイエスが現れて、女をかばった。

石を投げる人々に向かってイエスは言った。

「このなかで過ちを犯したことのない者だけが、

石を投げていい。」

誰も石を投げなくなった。

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よっしーのひき逃げ事件。

よっしーは、いけないことをした。

 

①飲酒運転しない。

当たり前だ。

このご時世、こんなに飲酒運転への

注意喚起がなされているのになぜ運転する。

 

②人をひいてしまったと思ったら

車を止めて無事を確認する。

当たり前だ。

なのに、人をひいたあとに逃げた。

 

①と②、ダブルで罪深い。

批判・バッシングされて当然だ。

 

と、ここで

謝罪会見の心理分析をしはじめるワイドショー。

過去の言動から性格に問題があったことを導き出すコメンテーター。

感じる違和感2つ。

 

 

わたしは

「人が犯す過ちや罪は大抵が故意では無い」

と思っている。

 

たとえば、 

「目が茶色いね」「巻き毛が可愛いね」

「そばかすが素敵だね」

そんな言葉を発したとき、

目の色素が薄いこと、巻き毛、そばかすが

相手のコンプレックスだったら?

「え、ちゃんと直したのに髪の毛くるくるになってる、、?」

「やっぱり私の目は、巻き毛は、そばかすは目立つんだ。」

褒めているつもりで言ったとしても

相手を傷つけるだろう。

 

外食していて、皿に髪の毛が入っていた。

うっかり入ってしまったのだろう。

髪の毛って勝手に抜けるもんだよね。

 

高齢者のアクセル踏み間違えをはじめ

大半の交通事故だって故意ではないだろう。

よっしーも人をひこうとおもって

横断歩道につっこんだのではない。

 

そう、

わざと犯した罪よりも、

そんなつもりもないのに犯してしまった罪のほうが

世の中には格段に多い。

(ニュースで殺人事件や重犯罪が多いのは

故意に犯した罪が珍しくて取り上げるからだ)

 

そして、

法律に触れる触れないのレベルの差はあれど

人を傷つけることすべてを罪としたら、

誰しも罪を犯しているのだ。

誰も傷つけずに生きてこれた人なんていないし

現在進行形で誰かを傷つけているかもしれない。

イエス・キリストだって言っている。

過ちを犯さない人はいない、と。

償いきれなかった罪の一つや二つ、

みんな持っているだろう。

 

君は人のことをアレコレいうまえに

自分の罪に気付いているのか?

公共の電波にのせて人の罪をえぐることに

意味ってあるんだろうか。

ジャーナリズムって結局何だろう?

 

ただ。

誰かを傷つけたなら、

故意でなくても償わなくてはいけない。

皿に髪の毛を入れるつもりなんてなかったから

謝らなくていい、なんてことないだろう。

相手に償うこと、

自分の中でしっかり消化するまで反省すること。

この二つが、罪を犯したのちに必要なことだ。

もちろんよっしーも償わなくてはいけない。

 

だから今必要なのは、

具体的に彼女はどんな償いをすべきで、

その償いを周り(社会)がどう受け止めていくべきか、

話し合うことなんじゃないか?

又聞きの憶測の性格診断よりよっぽど建設的だ。

 

 

加えて、もう一つおもうことがある。

人って

想像していなかった状況に陥ったとき

自分が実際にどんな行動をとるか、

わからないんじゃないか?

自分はよっしーのような非人道なことは

するはずがないと思っていそうな野次馬への、

違和感その2だ。

 

あなたは、

車で人をひいたことがあるだろうか?

人をひいたことがなければ、

その瞬間どんな音がして、

それはどれくらいのボリュームで、

どんな感触なのか、分からないはずだ。

その瞬間頭の中がどのくらい混乱するか

体験したこともない。

「できればこの音は違う音であってほしい。」

「この衝撃は気のせいであってほしい。」

そんな願いが頭によぎらないと、

断言できるだろうか。

 

百聞は一見にしかず。

その状況になってみないと分からないことが

世の中にはたくさんある。

 

「人として当たり前」、

みんな道徳心を持っている。

それでも、

想像を超えた状況に突然でくわして

負けてしまう人はいるし

それが自分ではないと証明できるものは

何もないのだ。

 

確かによっしーの犯したことはとても罪深いが、

よっしーを批判している人は、

同じ状況でも自分は必ず正しい行動ができると

過信しない方がいいだろう。

 

 

まとめますと 。

私が感じている違和感は、

実は罪まみれの自分のことを棚にあげて

よっしーをまつりあげる

ワイドショーやコメンテーター。

 +

想像していない状況に追い込まれたとき

何をするかなんて自分では分からないはずなのに

よっしーと自分は違うと思っている過信気味な世間。

 

改めていうと、よっしーは許されない、

非人道なことをしたと私も思う。

それでも、報道からはもれている

いろんな事情があったのかもしれない。

だからといって罪は軽くはならないが、

今の日本のワイドショーのように

安易によっしーを批判する気にはなれない、

という独り言でした。

 

自分自身の肝に命じておきたい。

どんなことに対しても、どんなひとに対しても、

想像力豊かでありたいものだ。

映画もっと見よう。

 

 

余談だが、

故意じゃなくても犯した罪は

償わなくちゃいけないという当たり前のこと、

つまり社会の暗黙ルール、

これが暗黙すぎて

悪質なクレーマーやパワハラ問題や

昨今のいろんな問題につながっていると思う。

図々しく仕上がった大人よりも小学生のほうが

よほどちゃんと謝って悔い改められるだろうな。

 

 

下書きであたためすぎて

完全に時期を逃した記事でした。 

ながい、、、