もめぐ

楽しかったのは覚えてるんだけど、何が楽しかったか覚えてない。

生暖かいふるさと

学生のわたしが考えていたこと、

いまになって新鮮なので残しておきます。

 

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大学をなんとか卒業できた。

そしてもうあしたからは、いわゆる社会人だ。

ふるさとの街に帰ってきた。

 

これが古き良き懐かしさと言うものなのか、

ただ自分の記憶が懐かしさを引き起こしているのかは

わからないけれど、

トウキョウにはないゆったりした流れと

人々のしっかりした生活感と

汚さと地方感と

春の暖かい日差しが絶妙に合わさって

素晴らしくいい気持ちで駅前商店街を歩いた。

 

こういう雰囲気のことをいろんな人がことばで表現しようと

奮闘しているのだなあと思った。

確かにこのなんともいえない幸福感と

誰かに抱かれてるような暖かさと安心感は

誰かに伝えたくなる。 というよりも

記憶に残しておきたくなる、という方が合ってるかな。

 

ちなみに私が市役所に入る直前にぱっと思いついた、

これについての表現は

”生暖かくて、こもった匂いがする” だった。

…自分で納得できればいい。

 

ふと、小学校のとき好きだった男の子が

車で駐車場に入るのが見えた。

彼の母から、

「(彼が私を)きらいじゃないけど、好きでもないみたい」と

言われた小学生当時の私は、そんな落ち込みもせず、

マイナスなことを後に持ってくる言い方ってダメだなあと思った。

「好きではないけど、嫌いでもないみたい」と言われていたら、

同じことなんだけど、少しは心躍ると思う。

 

ふと、自分の得意な芸を見せるために小学校中の教室を

給食時間に回っていた同級生を思い出した。

SNSをみてみると痩せていて、バンドマンになっている。

昔は愉快で陽気で、彼がいれば安心、な芸人さんだったのに、

カッコイイ路線に変更したらしい。

小学校の友達とは中学入学時点から離れているのでよく知らないが、

それを知った時ちょっと残念な気持ちになったのを覚えている。

小学校当時の彼を思い出してみると、

こういう人が芸能人になるんだと

思わせるような人だったんだけどなあ。

 

ふと、ジャズダンスを習っていたことを思い出した。

ジャズダンスを習いに通っていた、古くて立派な公会堂を思い出すと、

その近くにたまたま住むことになった

大学時代の知り合いも思い出された。

今はアメリカにいるはずだが、余計なおせっかいとして、

いい歳しているのだから恋人とはどうなってるのかななんて

心配した。

 

ふと、市役所で行われた成人式を思い出した。

高校の友人と、雨雪のなか参加し、人が多すぎて結局中に入れず

外で待機していたんだった。

小学校時代の友達とここで何人か再会した。

幼なじみや、仲良しだった女子グループや、

付き合ったとはいえない、ただ両想いだった男の子なんかも。

 

ふと、小学校の校長を思い出した。

校長へのお手紙ボックスが校長室の前にあって、

そこに手紙を入れておくと、

給食の時間に返事をもって校長先生が教室まで来てくれた。

校長を退かれてから、たまたま私が通っていた絵画教室と同じ建物の

オフィスで働くようになった校長先生のところに、

教室終わりに行ったこともあった。

「〇〇先生!」と私が呼ぶと、

「ここで先生と呼ばれると変な感じになるよ」と笑って

おっしゃっていた。

穏やかな人だったような気がする。

まだ元気でいらっしゃるのだろうか。

きっと、同じオフィスの人たちは、あの人が「先生」と呼ばれ、

昔の教え子が来ているのを見て、

なんだかほっこりした気持ちになったのではないかな。

具体的な記憶はないけど、それくらいあの人には人望があって、

穏やかな人だったような気がする。

 

近々市長選でもあるのか、駅前でメガホンを持って

「シニアのためにエレベーターをつくります」

といっているおじさんがいた。

前の市長らしい。

その近くですれ違ったどピンクのたすきをかけたおばさんは

手にメガホンを持ち、これから街頭演説にでも行くような風だった。

たすきには、はっきり覚えてないけれど

「死ぬまで住み続けたい街」というようなことが書いてあった。

私は死ぬ時どこに住んでいるだろうか。

 

 

 

ほんの、1時間くらいの間の回想。

でも、なんだか幸せな気持ちだった。

春だから、浮かれているのだろうか。

手のひらを返したように皆も、薄着になった。軽やかになった。

 

それでもなんだか、この街が好きだと思えるようになった。

ずっとこの街で生きている人もいる。

私はいま、離れようとしている。

むしろ、実家があるだけでもう4年も、もしかすると10年ほど

離れてしまっている。

 

「死ぬまで住み続けたい街」、かあ。

もしかしたら、ほんとにこの街はそうかもしれない、と思うと同時に、

トウキョウの街も毛嫌いするほど悪くないことにも最近気づいている。

 

つまりは、街の良さを感じられる歳になったということか。