もめぐ

楽しかったのは覚えてるんだけど、何が楽しかったか覚えてない。

肩書きが増えると自由になる

 

 またひとつ、新しい肩書きが増える。

 

既存の肩書きは

「大卒」「社会人」「元社長秘書」などなど。

1年前に「妻」が加わり、

さらに「母」も新規追加される予定だ。

 

結婚して1年。

肩書きが増えたことで、

なぜだかわたしはフリーダムになった。

なぜだろう。

 

「妻」でいえば、

妻は家庭を守るべしという世間の考えや、

それに流れそうな自分がこれまではいた。

「社会人」でいえば、

決まった時間に出社して、

会社に忠誠心厚く働くものと思っていた。

 

いまやフレックスタイム制や副業OKなんて

珍しくもない。

社員が自身のキャリアアップの一過程として

自社に入社することを喜ぶ上層部も増えている。

 

これから迎える「母」という肩書きも、

ああしなきゃこうしなきゃと堅苦しい思いもあるが、

きっと実際なってみれば自分の塩梅で

予想以上に自由なのだろう。

例えば、完全母乳神話崩壊とか。

ベビーシッターを雇って夫婦で出かけるとかね。

 

やり方次第、意志次第、

つまりは自分次第なのだろう。

幅広い選択肢を持てるよう

社会のルールや認識が追いついてきているとも思う。

 

そしてこの自由さに欠かせないことが3つ。

自分の意思と、それを推し進める技術(やり方)、

そして周囲の環境だ。

先の2つは自分で磨くとして、

周囲の環境は自分の手が届かないところもある。

国の法律や物理的な地理、特に周囲の人の理解。

だからやはり、環境を選ぶことは大事なのだね。

 

 

何の肩書きもない人間には自由ってない。

自由にふるまえる範囲がないから。

そこにあるのは無、だ。

肩書きが増えれば増えるほど、

範囲が限定されるようにみえて

実は自由の範囲は広がる。

 

私が結婚して「妻」になったのは、

旦那の大事な人は私にとっても大事な人だと

社会的に認めてもらいたかったからだ。

単純に言うと、旦那の親の葬式に

会社を休んで出たいと思った。

(まだ死んでないしめっちゃ元気)

逆に、それだけだ。

だから、それ以外のことは

旦那の理解を得ればなんでも出来る。

勤務地にとらわれない転職とか。別居婚とか。

勉強したいことや留学とか。

子供を産まない選択とか。

これまではやりたいともやりたくないとも

思っていなかった超ぼんやりしたことも、

いつかはしようと思っていたことも、

「妻」である自分が実行すると自由を感じる。

きっと「妻」にならなければ実行しなかった。

そんなもんだ。

 

 

そして誰しも、肩書きはある。

当たり前に過ごす生活のなかから

自分の肩書きを掬いだすことができる。

「日本人」「〇〇県出身」

「娘/息子である」「同性/異性愛者」

「ひとりっこ/長男/末っ子」などなど。

身近なものも立派なひとつの肩書き。

そしてそれはどんどん増えていくはず。

たとえば「現10代」はのちに

「元10代」「現20代」という肩書きになるだろう。

 

レールにのらない生き方や、

ノマドや、アントレプレナーやら、

自分の生き方は自分で決めて、

やりたいことをやる時代。

それが良しとされる時代。

自分の肩書きは自分で作れといわれる。

ハイパーメディアクリエーターとか??

家電芸人とか???

わたしは実際そこまでの気力はないのだが、

自分の当たり前のなかから

肩書きを掬いだすことならできる。

そして肩書きが増えれば増えるほど

組み合わせ次第で自由の範囲は増えていく。

 

もっともっと、自由になりたいなぁ。