もめぐ

楽しかったのは覚えてるんだけど、何が楽しかったか覚えてない。

イライラにイライラ

何にイライラしてるかが定かでない。

 

だから余計にイライラする。イラがイラを呼ぶ。

 

自分の仕事が増えるから?

 

思った通りにならないから?

 

自分のペースが乱されるから?

 

 

「イライラ」の語源は草のトゲらしい。

トゲのことを昔から「イラ」と呼んだ。トゲのある草のことをイラクサといい、

その草に刺された不快感を「イライラする」と表現してたらしい。

 

トゲ。

何かのトゲが刺さったからイライラするのか。

 

自分には、なんのトゲが刺さってるんだろう???

 それは、どこに刺さっているんだろう???

 

 

私は自分に刺さったトゲを抜けない。

 

みんなの共通点

子供が産まれてから、

世の中で起きる事件や事故への関心がめちゃめちゃ高まった。

 

今日、理由にふと気づいた。

どんな人でも、誰かの子供だからだ。

どんな凶悪犯でも、

悲惨な被害者も、

ヒーローも、皆誰かの子供。

 

独身の時は、そもそもニュースにそんな

興味がなかった。

結婚してからは、

新婚で配偶者を亡くしたニュースに心を痛め、

孤独死のニュースに親を思い浮かべて

不安になった。

子供が産まれた今は、全てのニュースが心苦しい。

被害者にも、犯罪者にも、その親にも、

もう胸がざわざわする。

 

全人類の共通点、あたりまえなんだけど、

誰かの子供であるっていうこと、

親や保護者がいるっていうこと。

子供を産むとそういう思考になるんだなと痛感した。

 

 

〜するな、と〜しなさい

 

まだ確信ついた結論は出てないし

 

何事もどちらかに偏ることはよくないが、

 

なにか嫌なことをされたときに

 

〜するな、ではなく(かわりに)〜しなさい

 

と言えたらいいな。

 

〜するな!と扉が閉ざされたとき

 

その行動の余白をなにで埋めるべきか

 

適切に導けたらとてもいいんじゃないかな。

 

 

 

 

嬉しかったこと

 

結婚記念日、夫が花を買ってきてくれた。

買ってきてとリクエストしたからだけど。

少し変わった花をいつも買ってくる。

わたしは絶対選ばないような。

それが嬉しい。

 

 

もう一つ嬉しいことがあった。

 

「ひとりの時間が欲しい」

と切々と夫に訴えた。

家には、海外旅行帰りの大きなスーツケース三つ分、荷物が散乱。

10日間の子連れ海外旅行は思った以上にハードで、

旅行中私は39度近い熱が出た。

日中はテンションが高く気が張っているし、

夜は子供の夜泣きで起きるし、疲れが全然取れない。

帰りの飛行機もろくに眠れなかった。

10日間、子供はもちろん両親や叔母達ともずっと一緒。

ひとりの時間は熱でうなされホテルで寝ていた1日のみ、

その日は熱で朦朧として終わった。

ひとりになりたい。

子供が泣いたから強制終了するのではない、

自分でスタートして自分で終了できるひとりの時間が欲しい。

 

夫は、最初少しぽかんとしていた。

「うんいいよ、

君がひとりになる間子供はみておくよ。」

ありがたい。ほんとにできた夫なのだ。

家事はもちろん分担だし、子育ても分担。

私にしかできないことは整理整頓と掃除だけ。

(夫がどうしても苦手だからだ。)

とっても助かるし、夫はそれが当たり前と思ってやってくれる。

だから、

なんでそんなに切羽詰まってるの?

ちょっと出かけてくるわ〜くらいの

テンションでリフレッシュしてきたらいいのに。

そう思ったらしい。

一方私は、有難い言葉をもらったのにモヤっとしていた。

なぜかは自分でもわからなかった。

「うん、ありがとう、

でもスーツケースまだ片付いてないから」

と答えた。

体もだるいし、やることが山積みなんだもん、、。

 

しばらくして夫が言った。

「俺気づいたんだけど、

君はやるべきことを全て片付けてからじゃないと

ぼーっとしたりリフレッシュしたりができないんだね。

僕は、やることがあっても全て置いておいてリフレッシュできるんだ。

君にはそれができないってことだね。」

私にとっても、それは思いがけなかった。

 

やるべきことが残ったままだと、

気になって途中でリフレッシュができない。

それはみんなそうだと勝手に思ってた。

というか考えてみたこともなかった。

夫にそう言われて、夫がそうではないこと、

私がそうであることを認識した。

 

夫はその気づきから、

いま私が「ひとりになる」ために必要なのは

子供の面倒をみることではなくて、

スーツケースを早く片付けることだと理解したようだ。

スーツケースを早く片付けるために、

子供が寝てから二人で取り掛かったり

子供が起きたらどちらかが集中して面倒を見てどちらかが片付けに集中したりした。

子供の面倒をみる、その行為は同じだけど、

私がリフレッシュするためにその間面倒をみる、のと

私がスーツケースを片付けるためにその間面倒をみる、のと、

微妙に違う。

後者だときっと、

私が片付けをする部屋で子供を遊ばせないだろうし、

私が片付けに疲れたら選手交代して

夫が片付け、私が子守りになるだろう。

 

 

私はとっても嬉しかった。

私に新しい発見をくれたこと、

私のことを考えてくれたこと。

目的の違いを認識して行動してくれること。

 

書き残しておかないと、また忘れてしまう。

わたしは楽しかった、嬉しかった感情は覚えているけど

何が楽しかったか、何が嬉しかったか忘れがちだから。

 

少し未来にまた見返して、幸せな気持ちになりたいし、改めて夫に感謝したい。

 

 

 

しっかり考えるのが重要な理由

 

わたしは比較的しっかり考えている方だと思う。

大学、学部、ゼミ、新卒入社、その他のいろんな選択を考え抜いてしてきた。

自分がどんな思考をしていて、

なぜその時その選択がベストだったのか、

そのストーリーを話せる。

それは評価されることが多い。

そのストーリーがいかに立派か、ということでなく

ストーリーとして物語れること自体だ。

 

わたしには人生のビジョンがある。

強い原体験によって得られたものだから、

ビジョンはもう不動のものだ。

そのビジョンに沿わない選択は

自分が苦しいだけだ。

 

だから当たり前に考え抜いて選択してきたのだけど

なんでしっかり考えることって大事なんだろうと

よくわかっていなかった。

 

最近少しわかった。

なあなあでした決断は、

人の意見に引っ張られやすいからだ。

なにか意見を言われた時、

自分がなぜそうなのかという理由がないからだ。

そして一番問題なのは、

それが人生の大きな選択であればあるほど、

自分がなぜそうしたのか自分でよく分からないと、

自分自身が迷うからだ。

それはとても落ち込む。

 

 

近所に葬儀場ができるらしい。

それに大反対する市民が1人、2人いるとする。

その2人が、「家の隣に遺体を置かれるなんて嫌でしょう!?」と言ってくる。

別に興味がなかったとしても、

嫌かどうか?と聞かれたら嫌なのかもしれないと思い始める。

そして署名してしまう。

大反対は2人だけ、あとの人はどちらでもいい、別にできても構わないくらいに考えていても

声の大きな人の声が通ってしまう。

 

家の近所に葬儀場を是非立ててほしい!!

という人は少ないだろう。

でも、できても構わない人もいるだろう。

 

どちらでもいいよと深く考えなかったことで

大反対しているかのような波に飲まれることもある。

 

それが自身の人生に影響の大きいことであれば

なおさら大問題。

 

声の大きな少数によって町の変化を妨げられたくないから、

葬儀場建設に賛成するのはそんな理由でもいいのだ。

 

 

立派な理由でなくてもいい。

そうしないと気分悪いから、気分良いから、アガるから、でもいいのだ。

自分で考えて、理由を持って選択すること。

それは人生に肯定感を生むことでもある。

そこの就活生、ぜひよく考えて就活してほしい。

 

人生の目標ってなに?

どんな人が好き?

どんなことをしていたいか、

どんな状態でいたいだろうか?

 

 

 

いい気分

 

いい気分って大事。

機嫌がいいって大事。

でも自分の機嫌を自分で治すのって難しい。

 

6ヶ月の赤ん坊でさえ、

転がっているおしゃぶりを拾って咥えて

機嫌を治すのに。

 

気分がイライラしたり、落ち込んだ時、

これをすれば気分が上がるきっかけになる、

それってなんだろう。

 

人生かけて探していくものなのかな。