もめぐ

楽しかったのは覚えてるんだけど、何が楽しかったか覚えてない。

言いやすさにまつわる教訓

 

部下?の退職。

部下とも言い切れない立場の方だけど。

退職の連絡を私にくれた。まだ誰に言ってないという。

まず誰に言うか悩んだけど、日報のチェックが私だったから、と言っていた。

 

私が言いやすいのもあっただろう。

その言いやすさはきっと私の良いところだ。

 

だけど同時に、言われなかったメンバーや代表が悪いところがあるのかといえばそうではない。

言いやすさがなかったことは、決して悪いことでもない。

代表の立場にもし自分がなったら、大事なことを私に言って欲しかったと思うかもしれないが、

そこは特に大事じゃないんだ。

 

これを教訓にしていれば、未来の私がある場面で傷ついたり落ち込んだりすることもないと思う。

はざま

 

私たちは今、いろんな狭間にいると思う。

 

 

経済的豊かさと、お金で買えない豊かさの狭間。

 

開発と、保存の狭間。

 

世間体と、自分の声の狭間。

 

やらねばならないことと、やりたいことの狭間。

 

あるべき論と、ありたい論の狭間。

 

賃貸と、購入の狭間。

 

年収アップと、やりがいの狭間。

 

男性と、女性の狭間。

 

婚姻と、事実婚の狭間。

 

経験と、制限の狭間。

 

個性と、強調の狭間。

 

グローバルと、ローカルの狭間。

 

ボランティアと、ビジネスの狭間。

 

 

 

時代によるところも大きい。

 

でも、きっとどの時代もそれぞれの「狭間」があるんだろうと思う。

 

でもでもやっぱりそれでも、今の時代だからこんなにふわついているのでは?とも思う。

 

難しいし、生きづらい。

 

 

 

ビジネスマン

 

私は、ビジネスマンにならねばならないと強く思いすぎていたようだ。

 

返信は早くなくては、仕事は早くなくては。

ビジネスにおける思考のフレームワークを知っていなければ。

経営に近い思考でいなければ。

経営層の判断を心から理解し会社全体にとって何が良いことなのか考えねば。

 

悪くはない。

ただ本当に自分はビジネスマンになりたいのだったっけ?

 

ビジネスはお金を作る営みのこと。

漁業も農業ももちろんそうだし、メルカリで物を売るのもビジネスと言えるかも。

何も、大きなお金を動かすことや

フレームワークを使って思考することだけがビジネスじゃないのだ。

今まで私は、ほんの一部分の業種だけを切り取って

「ビジネス」と言っていたようだ。

分かっちゃいたけど、分かってなかった。

 

 

私はお金を作れる人になりたい。= 稼ぎたい。

なぜかというと、自分に対するわかりやすい評価だから、というのと

貨幣経済が前提の現代で豊かに暮らすためには最低限お金が必要だからだ。

やりたいことをやるために、お金は必要だ。

 

じゃあお金をどうやって稼ぐか、と考えたときに、

私はあまりに、いわゆる”ビジネスマン”一択すぎた。

外資系コンサル企業の面接を受けていて、ヒシヒシ感じた。

あ〜もしかしたらどうでもいいかもって。

 

 

思考のフレームワークってそんなに大事?

メールにとにかく早く返信することってそんなに大事?

 

私はどんな人になりたいだろう。

 

 

まずは人として一人前になりたい。

ちゃんと1日のリズムを作ってそれを1年以上続けられる。

趣味がある。

自分のストレス解消法を知っている。

睡眠時間を確保できる。

自分の嫌な気持ちを、ちゃんと消化できる。

常に余裕を持てている。

人として一人前になりたい。

 

その先に、自分が自信を持ってコレだと言える何か、能力を身に付けたい。

それは何個でもいいし、完璧じゃなくていいけど。

 

 

加えて私は、「社会に大きな影響を与えることをしたい」と思っているらしい。

なぜだろう。

世界の貧困問題に思いをはせた中高時代。

私にできることはないか?と考え無力感に苛まれた。だからなんだろうか。

 

なんだか、その思考にも”飽きてきた”気がする。

私は社会を変えたりよその国を変えたりする前に

自分の目の前にいる人が豊かに、幸せにいてくれたらいいなと思う。

 

そういう地に足ついたビジネスをしたいなぁ。

 

 

 

メモメモ。

いつも会社に伝えたいこと、でも語彙力や表現力がなくて説明できてないように感じるし、自分の考えに偏りがあるようにも感じる。

参照する。

 

 

「ビジョン」「ミッション」から「パーパス」へ ― 個人と組織の存在意義が仕事における幸福度を高める | WORK MILL

鬱の夫とトゲが抜けない妻

 

なにか虚しい。

なんでだろう。

夫がまた鬱を発症したらしい。私は夫が嫌いになりそうだ。

 

「怠けてるだけなのかなぁ?」

そう聞かれても、絶対違うよ、大丈夫、と言えなかった。

私がきっと心の奥で、そう思っているからかもしれない。

というか気にかけてあげられる余裕がなかった。

 

留学の準備は着々とせねばならない。

でもコロナウィルスの流行は私一人がどうこうできる問題でもなく

とりあえず1ヶ月の延長となった。それでも不安定な状況は変わらない。

子供と離れてまで留学すると決めた。

その決意を揺るがされて、時期も遅らされて、心はざわつく。

 

留学すると決めているから、もう家を引っ越すことも決まっている。

子供も転園する。

役所での引っ越し手続き、転園手続き、子供の予防接種、

あとは日本でやり残しておかないようにたくさんの予定が詰まっている。

 

生理痛がひどいからピルを飲み始めてまた婦人科に行かなくてはならないし、

咳喘息のための薬ももらいに行かなくてはならないし、

脱毛も消化したいし、矯正歯科にも行きたい。

あとは日本で残しておく荷物をなるべく少なくしたいので服や物を整理して、

保険や銀行口座も整理して、

子供にまつわる書類や行政の書類なんかをまとめているファイルも整理したい。

大量の写真も整理したい。

避難グッズもこの際見直してしっかり準備しておきたい。

あとは書類や子供について、母や夫に引継ぎをしっかりしたい。

 

私がいなくても不自由ないように、しっかりきっちりまとめておきたい。

日中は仕事もある。

 

だから時間がない。余裕も、ない。

 

 

前から、夫が調子が悪くなると、とってもイライラした。

自分の仕事が増えるからだと思う。

子供の面倒も炊事も送り迎えも、やらなきゃいけない。

 

もう一つは、自分が責められてる気になるから、だとも思う。

彼がしんどくなるのは、何も仕事だけじゃないだろう。

子供がいる責任や、私との生活の中でも何か無理してるのだろう。

 

「お前のせいだ。」

それをもろに、受け止める。

 

そんな私に、夫を思いやる気力は残っていない。

私がもっとできた人だったら、彼はこんなに苦しまなくて済むだろう。

 

「なんで私ばっかり」「私だって辛い」「誰もわかってくれない」

そう思い込んで、彼が何気なく言った言葉に傷ついて、私も同じような言葉を吐いて、

彼を傷つけようとしてしまう。

私は何かの病気だろうか。

 

お互いにお互いを傷つけてしかいない。

 

「俺の給料だから! いやそら家族のお金だけど」

「ほら寝るんじゃん! いや寝ててくれていいけど」

本音が見える。

妻にしっかりしててほしい、という本音が。

 

もっとしっかりしててよ、俺がもたれかかりたいから。

 

そう言われてるように感じるのだ。

被害妄想だと思う。

 

そういえば、身長が高い私を風除けに使った友人のあの時の感情は

鮮明に思い出せるなあ。

 

もたれかかられるのが極度に嫌らしい。

母親が常にもたれてくる人だったから、というのもあるかもしれない。

アレルギーなんだろうか。

 

みんなもっと、寛容にもたれてもらって、自分ももたれて、

持ちつ持たれつやってるんだろう。

私はうまくそれができない。

なぜだろう。

 

誰も教えてくれない。

自分で見つけるしかない。

見つけ方がわからない。